数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、記念すべき第1回ウルグアイ大会(1930年)の王者「ウルグアイ代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
ウルグアイ代表1930年W杯大会成績
FINAL | ||
○ウルグアイ🇺🇾 | 4 – 2 | ●アルゼンチン🇦🇷 |
12: ドラド 57: セア 68: イリアルテ 89: カストロ | 20: ペウチェレ 37: スタービレ |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
SEMI-FINAL | ||
○ウルグアイ🇺🇾 | 6 – 1 | ●ユーゴスラビア |
18: セア 21: アンセルモ 39: アンセルモ 61: イリアルテ 65: セア 81: セア | 4: ヴジャディノビッチ |
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇺🇾 ウルグアイ | 2 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | +5 | 4 |
2 | 🇷🇴 ルーマニア | 2 | 1 | 0 | 1 | 3 | 5 | -2 | 2 |
3 | 🇵🇪 ペルー | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | -3 | 0 |
1節 | ||
○ウルグアイ🇺🇾 | 1 – 0 | ●ペルー🇵🇪 |
60: カストロ |
2節 | ||
○ウルグアイ🇺🇾 | 4 – 0 | ●ルーマニア🇷🇴 |
7: ドラド 24: スカローネ 30: アンセルモ 35: セア |
ウルグアイ代表1930年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
エンリケ・バレステロス (Enrique Ballesteros) | – | GK | 🇺🇾 | ランプラ | 1905年1月18日(24) | 183cm・-kg | 4試合・0得点 |
ミゲル・カプチーニ (Miguel Capuccini) | – | GK | 🇺🇾 | ペニャロール | 1904年1月5日(25) | NO DATA | 0試合・0得点 |
エルンスト・マスチェローニ (Ernesto Mascheroni) | – | CB | 🇺🇾 | CAリーベル・プレート | 1907年11月21日(21) | 185cm・-kg | 3試合・0得点 |
ロレンソ・フェルナンデス (Lorenzo Fernández) | – | CB | 🇺🇾 | ペニャロール | 1900年5月20日(29) | NO DATA | 4試合・0得点 |
ドミンゴ・テヘラ (Domingo Tejera) | – | CB | 🇺🇾 | ワンダラーズ | 1899年7月22日(29) | NO DATA | 1試合・0得点 |
エミリオ・レコバ (Emilio Recoba) | – | CB | 🇺🇾 | ナシオナル | 1904年11月3日(24) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ホセ・ナサシ (José Nasazzi) | – | RSB | 🇺🇾 | ベジャ・ビスタ | 1901年3月24日(28) | 182cm・85kg | 4試合・0得点 |
ホセ・アンドラーデ (José Andrade) | – | CM | 🇺🇾 | ナシオナル | 1901年11月22日(27) | 180cm・79kg | 4試合・0得点 |
アルバロ・ヘスティード (Álvaro Gestido) | – | CM | 🇺🇾 | ペニャロール | 1907年5月17日(22) | 173cm・-kg | 4試合・0得点 |
コンドゥエロ・ピリス (Conduelo Píriz) | – | CM | 🇺🇾 | ナシオナル | 1905年6月17日(24) | NO DATA | 0試合・0得点 |
アンヘル・メローニョ (Ángel Melogno) | – | CM | 🇺🇾 | ベジャ・ビスタ | 1905年3月22日(24) | NO DATA | 0試合・0得点 |
カルロス・リオルフォ (Carlos Riolfo) | – | CM | 🇺🇾 | ペニャロール | 1905年11月5日(23) | NO DATA | 0試合・0得点 |
フランチェスコ オッキウッツィ (Francesco Occhiuzzi) | – | CM | 🇺🇾 | ワンダラーズ | 1905年8月28日(23) | NO DATA | 0試合・0得点 |
パブロ・ドラド (Pablo Dorado) | – | RW | 🇺🇾 | ベジャ・ビスタ | 1908年6月22日(21) | 175cm・-kg | 3試合・2得点 |
サントス・ウルディナラン (Santos Urdinarán) | – | RW | 🇺🇾 | ナシオナル | 1900年3月30日(29) | 170cm・-kg | 1試合・0得点 |
サントス・イリアルテ (Santos Iriarte) | – | LW | 🇺🇾 | ラシン・クラブ | 1902年11月2日(26) | 170cm・-kg | 4試合・2得点 |
エクトル・カストロ (Héctor Castro) | – | CF | 🇺🇾 | ナシオナル | 1904年11月29日(24) | NO DATA | 2試合・2得点 |
ホセ・ペドロ・セア (José Pedro Cea) | – | CF | 🇺🇾 | ナシオナル | 1900年9月1日(28) | 172cm・-kg | 4試合・5得点 |
ペレグリン・アンセルモ (Pelegrín Anselmo) | – | CF | 🇺🇾 | ペニャロール | 1902年4月30日(27) | NO DATA | 2試合・3得点 |
ペドロ・ペトローネ (Pedro Petrone) | – | CF | 🇺🇾 | ナシオナル | 1905年5月11日(24) | 173cm・-kg | 1試合・0得点 |
エクトル・スカローネ (Héctor Scarone) | – | CF | 🇺🇾 | ナシオナル | 1898年11月26日(30) | 175cm・74kg | 3試合・0得点 |
ソイロ・サルドムビデ (Zoilo Saldombide) | – | CF | 🇺🇾 | ワンダラーズ | 1903年10月26日(24) | 18cm・7kg | 0試合・0得点 |
ファン・カルロス・カルボ (Juan Carlos Calvo) | – | CF | 🇺🇾 | ミラマール | 1906年6月26日(23) | NO DATA | 0試合・0得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
アルベルト・スッピチ (Alberto Suppici) | 🇺🇾 | 1898年11月20日 |
ウルグアイ代表1930年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
1930年W杯当時のキーマン
ホセ・ナサシ|ベジャ・ビスタ
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プロフィール
ホセ・ナサシ
(José Nasazzi)
生年月日:1901年3月24日
身長/体重:182cm・-kg
ポジション:RSB / CB
利き足:右足
所属クラブ:ベジャ・ビスタ
代表通算:44試合・0得点
歴史にその名を刻んだ初代王者の主将
世界三大スポーツイベントの1つにまで数えられる、フットボールの祭典W杯の初代王者をまとめ上げたキャプテン。
ウルグアイ史上最高のDFの1人として名を連ねる英雄は、”鉄のカーテン”と呼ばれた鉄壁の守備を支えた。
ホセ・ペドロ・セア|ナシオナル
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プロフィール
ホセ・ペドロ・セア
(José Pedro Cea)
生年月日:1900年9月1日
身長/体重:172cm・-kg
ポジション:CF / AM
利き足:右足
所属クラブ:ナシオナル
代表通算:30試合・15得点
勝負強さが光ったチーム得点王
初代得点王スタービレ(アルゼンチン)に次ぐ単独2位の5ゴールをマークし、ウルグアイを頂点に導いた最大の立役者。
準決勝ではハットトリック、決勝アルゼンチン戦では再逆転につながる同点弾と、ここぞというシーンでの勝負強さも光った。
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