数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、伝説的名将ポッツォに率いられ、第2回イタリア大会(1934年)を制した「イタリア代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
イタリア代表1934年W杯大会成績
FINAL | ||
○イタリア🇮🇹 | 2 – 1 AET | ●チェコスロバキア🇨🇿 |
81: オルシ 95: スキアビオ | 76: プチ |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
Semi-FINAL | ||
○イタリア🇮🇹 | 1 – 0 | ●オーストリア🇦🇹 |
10: グアイタ |
QF deciders | ||
○イタリア🇮🇹 | 1 – 0 | ●スペイン🇪🇸 |
12: メアッツァ |
Quarter-FINAL | ||
○イタリア🇮🇹 | 1 – 1 AET | ●スペイン🇪🇸 |
45: フェラーリ | 31: レゲイロ |
Round of 16 | ||
○イタリア🇮🇹 | 7 – 1 | ●アメリカ🇺🇸 |
18: スキアビオ 20: オルシ 29: スキアビオ 63: フェラーリ 64: スキアビオ 69: オルシ 69: メアッツァ | 57: ドネッリ |
イタリア代表1934年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ジャンピエロ・コンビ (Gianpiero Combi) | – | GK | 🇮🇹 | ユベントス | 1902年11月20日(30) | 174cm・-kg | 5試合・0得点 |
グイード・マゼッティ (Guido Masetti) | – | GK | 🇮🇹 | ローマ | 1907年11月22日(25) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ジュゼッペ・カバンナ (Giuseppe Cavanna) | – | GK | 🇮🇹 | ナポリ | 1905年11月18日(27) | 171cm・-kg | 0試合・0得点 |
エラルド・モンゼリオ (Eraldo Monzeglio) | – | CB | 🇮🇹 | ボローニャ | 1906年6月5日(27) | 173cm・74kg | 4試合・0得点 |
ルイジ・アレマンディ (Luigi Allemandi) | – | CB | 🇮🇹 | インテル | 1903年11月8日(29) | 183cm・-kg | 5試合・0得点 |
マリオ・ヴァルグリエン (Mario Varglien) | – | CB | 🇮🇹 | ユベントス | 1905年12月26日(27) | 176cm・-kg | 0試合・0得点 |
ヴィルジニオ・ロゼッタ (Virginio Rosetta) | – | RSB | 🇮🇹 | ユベントス | 1902年2月25日(31) | 170cm・-kg | 1試合・0得点 |
ウンベルト・カリガリス (Umberto Caligaris) | – | LSB | 🇮🇹 | ユベントス | 1901年6月26日(31) | 171cm・-kg | 0試合・0得点 |
ルイス・モンティ (Luis Monti) | – | CM | 🇮🇹 | ユベントス | 1901年5月15日(32) | 167cm・-kg | 5試合・0得点 |
アッティリオ・フェラーリス (Attilio Ferraris) | – | CM | 🇮🇹 | ローマ | 1904年3月26日(29) | 170cm・-kg | 3試合・0得点 |
ルイジ・ベルトリーニ (Luigi Bertolini) | – | CM | 🇮🇹 | ユベントス | 1904年11月13日(28) | 181cm・-kg | 4試合・0得点 |
アルマンド・カステラッツィ (Armando Castellazzi) | – | CM | 🇮🇹 | インテル | 1904年10月7日(28) | 184cm・-kg | 1試合・0得点 |
マリオ・ピッツィオーロ (Mario Pizziolo) | – | CM | 🇮🇹 | フィオレンティーナ | 1909年12月8日(23) | NO DATA | 2試合・0得点 |
ジョバンニ・フェラーリ (Giovanni Ferrari) | – | AM | 🇮🇹 | ユベントス | 1907年12月6日(25) | 172cm・-kg | 4試合・2得点 |
アッティリオ・デマリア (Attilio Demaría) | – | AM | 🇮🇹 | インテル | 1909年3月19日(24) | 176cm・-kg | 1試合・0得点 |
エンリケ・グアイタ (Enrique Guaita) | – | RW | 🇮🇹 | ローマ | 1910年7月15日(22) | 172cm・-kg | 4試合・1得点 |
アンフィロジーノ・グアリージ (Anfilogino Guarisi) | – | RW | 🇮🇹 | ラツィオ | 1905年12月26日(27) | 171cm・-kg | 1試合・0得点 |
ライムンド・オルシ (Raimundo Orsi) | – | LW | 🇮🇹 | ユベントス | 1901年12月2日(31) | 170cm・-kg | 5試合・3得点 |
ジュゼッペ・メアッツァ (Giuseppe Meazza) | – | CF | 🇮🇹 | インテル | 1910年8月23日(22) | 169cm・73kg | 5試合・2得点 |
アンジェロ・スキアビオ (Angelo Schiavio) | – | CF | 🇮🇹 | ボローニャ | 1905年10月15日(27) | 178cm・69kg | 4試合・4得点 |
フェリーチェ・ボレル (Felice Borel) | – | CF | 🇮🇹 | ユベントス | 1914年4月5日(19) | 175cm・-kg | 1試合・0得点 |
ピエトロ・アルカリ (Pietro Arcari) | – | CF | 🇮🇹 | ミラン | 1909年12月2日(23) | 175cm・-kg | 0試合・0得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
ヴィットリオ・ポッツォ (Vittorio Pozzo) | 🇮🇹 | 1886年3月2日 |
イタリア代表1934年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
1934年W杯当時のキーマン
ルイス・モンティ|ユベントス
この投稿をInstagramで見る
プロフィール
ルイス・モンティ
(Luis Monti)
生年月日:1901年5月15日
身長/体重:167cm・-kg
ポジション:CM
利き足:右足
所属クラブ:ユベントス
代表通算:18試合・1得点
2ヶ国で決勝を経験した唯一の存在
前回大会はアルゼンチン代表としては準優勝、ファシスト政権に引き抜かれた今大会は、イタリア代表の優勝に貢献した司令塔。
おそらく今後も出ることはない、W杯決勝に異なる国で出場したことがある唯一の人物として、永遠に語り継がれていくだろう。
ライムンド・オルシ|ユベントス
この投稿をInstagramで見る
プロフィール
ライムンド・オルシ
(Raimundo Orsi)
生年月日:1901年12月2日
身長/体重:170cm・68kg
ポジション:LW
利き足:左足
所属クラブ:ユベントス
代表通算:35試合・13得点
得意のドリブルで左サイドを制圧
モンティや逆サイドのグアイタと同じく、アルゼンチンから国籍を変更して大会に臨んだキーマンの1人
類い稀ぬスピードとドリブルで左サイドを切り裂き、決勝チェコスロバキア戦の同点弾を含む大会3ゴールと、攻撃の軸として活躍した。
その他の歴代W杯優勝国はこちら↓
当サイトでは、第1回ウルグアイ大会からサッカー・ワールドカップ全大会の優勝国を紹介しています。
まとめ記事がありますので、気になる方はこちらからチェックしてみてください↓
サッカー・FIFAワールドカップ歴代優勝国一覧【1930〜2022】本記事は、「FIFAワールドカップ歴代優勝国」の選手名鑑・当時のキーマンなどをまとめたページとなります。幾多の名勝負・名場面を生んだフットボール最高の祭典の歴史を、ぜひ振り返ってみてください。...