数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、“マラカナンの悲劇”、“ベロオリゾンテの奇跡”など、現代にも語り継がれている名シーンが生まれた、第4回ブラジル大会(1950年)の王者「ウルグアイ代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
ウルグアイ代表1950年W杯大会成績
ファイナルステージ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇺🇾 ウルグアイ | 3 | 2 | 1 | 0 | 7 | 5 | 2 | 5 |
2 | 🇧🇷 ブラジル | 3 | 2 | 0 | 1 | 14 | 4 | 10 | 4 |
3 | 🇸🇪 スウェーデン | 3 | 1 | 0 | 2 | 6 | 11 | -5 | 2 |
4 | 🇪🇸 スペイン | 3 | 0 | 1 | 2 | 4 | 11 | -7 | 1 |
3節 | ||
○ウルグアイ🇺🇾 | 2 – 1 | ●ブラジル🇧🇷 |
66: スキアフィーノ 79: ギジャ | 47: フリアサ |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
2節 | ||
○ウルグアイ🇺🇾 | 3 – 2 | ●スウェーデン🇸🇪 |
39: ギジャ 77: ミゲス 85: ミゲス | 5: パーマー 40: サンドクビスト |
1節 | ||
△ウルグアイ🇺🇾 | 2 – 2 | △スペイン🇪🇸 |
29: ギジャ 73: バレラ | 37: バソラ 39 バソラ |
グループステージ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇺🇾 ウルグアイ | 1 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | 8 | 2 |
2 | 🇧🇴 ボリビア | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | -8 | 0 |
1節 | ||
○ウルグアイ🇺🇾 | 8 – 0 | ●ボリビア🇧🇴 |
14: ミゲス 18: ビダル 23: スキアフィーノ 40: ミゲス 56: ミゲス 59: スキアフィーノ 73: ペレス 83: ギジャ |
ウルグアイ代表1950年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ロケ・マスポリ (Roque Máspoli) | – | GK | 🇺🇾 | ペニャロール | 1917年10月12日(32) | 189cm・85kg | 3試合・0得点 |
アニバル・パス (Aníbal Paz) | – | GK | 🇺🇾 | ナシオナル | 1917年5月21日(33) | NO DATA | 1試合・0得点 |
エウセビオ・テヘラ (Eusebio Tejera) | – | CB | 🇺🇾 | ナシオナル | 1922年1月6日(28) | 180cm・-kg | 4試合・0得点 |
マティアス・ゴンサレス (Matías González) | – | CB | 🇺🇾 | CAセロ | 1925年8月6日(24) | 180cm・-kg | 4試合・0得点 |
ヴィクトル・アンドラーデ (Víctor Andrade) | – | CB | 🇺🇾 | セントラル | 1927年5月2日(23) | 169cm・62kg | 4試合・0得点 |
ウィリアム・マルティネス (Wílliam Martínez) | – | CB | 🇺🇾 | ランプラ | 1928年1月13日(22) | 192cm・-kg | 0試合・0得点 |
エクトル・ビルチェス (Héctor Vilches) | – | CB | 🇺🇾 | CAセロ | 1926年2月14日(24) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ファン・カルロス・ゴンサレス (Juan Carlos González) | – | CB | 🇺🇾 | ペニャロール | 1924年10月22日(25) | NO DATA | 0試合・0得点 |
シューベルト・ガンベッタ (Schúbert Gambetta) | – | RSB | 🇺🇾 | ナシオナル | 1920年4月14日(30) | 172cm・69kg | 2試合・0得点 |
オブドゥリオ・バレラ (C) (Obdulio Varela) | – | CM | 🇺🇾 | ペニャロール | 1917年9月20日(32) | 183cm・80kg | 4試合・1得点 |
ロドルフォ・ピニ (Rodolfo Pini) | – | CM | 🇺🇾 | ナシオナル | 1926年11月12日(23) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ワシントン・オルトゥーニョ (Washington Ortuño) | – | CM | 🇺🇾 | ペニャロール | 1928年5月13日(22) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ファン・スキアフィーノ (Juan Schiaffino) | – | AM | 🇺🇾 | ペニャロール | 1925年7月28日(24) | 185cm・69kg | 4試合・3得点 |
アルシデス・ギジャ (Alcides Ghiggia) | – | RW | 🇺🇾 | ペニャロール | 1926年12月22日(23) | 169cm・62kg | 4試合・4得点 |
エルネスト・ビダル (Ernesto Vidal) | – | LW | 🇺🇾 | ペニャロール | 1921年11月15日(28) | 168cm・-kg | 3試合・0得点 |
ルベン・モラン (Rubén Morán) | – | LW | 🇺🇾 | CAセロ | 1930年8月6日(19) | 171cm・-kg | 1試合・0得点 |
フリオ・ペレス (Julio Pérez) | – | CF | 🇺🇾 | ナシオナル | 1926年6月19日(24) | 174cm・-kg | 4試合・1得点 |
オスカル・ミゲス (Oscar Miguez) | – | CF | 🇺🇾 | ペニャロール | 1927年12月5日(22) | 176cm・-kg | 4試合・5得点 |
フリオ・セザール・ブリトス (Julio César Britos) | – | CF | 🇺🇾 | ペニャロール | 1926年5月18日(24) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ファン・ブルゲーニョ (Juan Burgueño) | – | CF | 🇺🇾 | ダヌービオ | 1923年2月4日(27) | NO DATA | 0試合・0得点 |
カルロス・ロメロ (Carlos Romero) | – | CF | 🇺🇾 | ダヌービオ | 1927年9月7日(22) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ルイス・リーホ (Luis Rijo) | – | CF | 🇺🇾 | セントラル | 1927年9月28日(22) | NO DATA | 0試合・0得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
ファン・ロペス (Juan López) | 🇺🇾 | 1908年3月15日 |
ウルグアイ代表1950年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
1950年W杯当時のキーマン
オブドゥリオ・バレラ|ペニャロール
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オブドゥリオ・バレラ
(Obdulio Varela)
生年月日:1917年9月20日
身長/体重:183cm・80kg
ポジション:CM
利き足:右足
所属クラブ:ペニャロール
代表通算:45試合・9得点
強烈な個性が光った初代闘将
現代のウルグアイにも通ずる激しいチャージと、強烈なリーダーシップでチームをまとめ上げた“El Negro Jefe(ブラックチーフ)”。
フットボール史上最高のキャプテンの1人に数えられる闘将の冷静さと鼓舞がなければ、ギジャの逆転ゴールは生まれなかっただろう。
ファン・スキアフィーノ|ペニャロール
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ファン・スキアフィーノ
(Juan Schiaffino)
生年月日:1925年7月28日
身長/体重:185cm・69kg
ポジション:AM
利き足:右足
所属クラブ:ペニャロール
代表通算:21試合・9得点
ウルグアイ史上最高の選手の1人
フランチェスコリ、フォルランとも肩を並べる、ウルグアイ史上最高の選手の1人。
マラカナンでのブラジル戦では1ゴール・1アシスト。4年後のスイス大会でも4強入りに貢献するなど、大舞台になればなるほど力を発揮できる名手だった。
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