数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、突如現れた17歳のスーパースターに世界中が酔いしれた、第6回スウェーデン大会(1958年)の王者「ブラジル代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
ブラジル代表1958年W杯大会成績
決勝トーナメント
FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 5 – 2 | ●スウェーデン🇸🇪 |
9: ババ 32: ババ 55: ペレ 68: ザガロ 90: ペレ | 4: リードホルム 80: シモンソン |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
SEMI-FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 5 – 2 | ●フランス🇫🇷 |
2: ババ 39: ジジ 52: ペレ 64: ペレ 75: ペレ | 9: フォンテーヌ 83: ピアントニ |
Quarter-FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 1 – 0 | ●ウェールズ🏴 |
66: ペレ |
グループステージ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇧🇷 ブラジル | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | 5 | 5 |
2 | ソビエト連邦 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 | 0 | 3 |
3 | 🏴 イングランド | 3 | 0 | 3 | 0 | 4 | 4 | 0 | 3 |
4 | 🇦🇹 オーストリア | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 7 | -5 | 1 |
1節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 3 – 0 | ●オーストリア🇦🇹 |
38: アルタフィーニ 49: N. サントス 89: アルタフィーニ |
2節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 0 – 0 | ●イングランド🏴 |
3節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 2 – 0 | ●ソビエト連邦 |
2: ババ 65: ババ |
ブラジル代表1958年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
カスチーリョ (Castilho) | 1 | GK | 🇧🇷 | フルミネンセ | 1927年11月27日(30) | 181cm・-kg | 0試合・0得点 |
ジウマール (Gilmar) | 3 | GK | 🇧🇷 | コリンチャンス | 1930年8月22日(27) | 181cm・72kg | 6試合・0得点 |
オレコ (Oreco) | 8 | CB | 🇧🇷 | コリンチャンス | 1932年6月13日(25) | 175cm・-kg | 0試合・0得点 |
イウデラウド・ベリーニ (Hilderaldo Bellini) | 2 | CB | 🇧🇷 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 1930年6月7日(28) | 183cm・83kg | 6試合・0得点 |
ゾジモ (Zózimo) | 9 | CB | 🇧🇷 | バングーAC | 1932年6月19日(25) | 176cm・67kg | 0試合・0得点 |
オルランド (Orlando) | 15 | CB | 🇧🇷 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 1935年9月20日(22) | 180cm・74kg | 6試合・0得点 |
マウロ・ラモス (Mauro Ramos) | 16 | CB | 🇧🇷 | サンパウロ | 1930年8月30日(27) | 180cm・76kg | 0試合・0得点 |
ジャウマ・サントス (Djalma Santos) | 4 | RSB | 🇧🇷 | ポルトゥゲーザ | 1929年2月27日(29) | 173cm・73kg | 1試合・0得点 |
ニウトン・デ・ソルディ (Nilton de Sordi) | 14 | RSB | 🇧🇷 | サンパウロ | 1931年2月14日(27) | 171cm・72kg | 5試合・0得点 |
ニウトン・サントス (Nilton Santos) | 12 | LSB | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1925年5月16日(33) | 184cm・79kg | 6試合・1得点 |
ジト (Zito) | 19 | CM | 🇧🇷 | サントス | 1932年8月8日(25) | 179cm・72kg | 4試合・0得点 |
ジノ・サニ (Dino Sani) | 5 | CM | 🇧🇷 | サンパウロ | 1932年5月23日(26) | 174cm・74kg | 2試合・0得点 |
ジジ (Didi) | 6 | CM | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1928年10月8日(29) | 170cm・59kg | 6試合・1得点 |
モアシール (Moacyr) | 13 | AM | 🇧🇷 | フラメンゴ | 1936年5月19日(22) | NO DATA | 0試合・0得点 |
ジョエル (Joel) | 17 | AM | 🇧🇷 | フラメンゴ | 1931年11月23日(26) | 174cm・71kg | 2試合・0得点 |
マネ・ガリンシャ (Mané Garrincha) | 11 | RW | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1933年10月28日(24) | 169cm・72kg | 4試合・0得点 |
マリオ・ザガロ (Mario Zagallo) | 7 | LW | 🇧🇷 | フラメンゴ | 1931年8月9日(26) | 172cm・69kg | 6試合・1得点 |
ペペ (Pepe) | 22 | LW | 🇧🇷 | サントス | 1935年2月25日(23) | 175cm・-kg | 0試合・0得点 |
ペレ (Pelé) | 10 | CF | 🇧🇷 | サントス | 1940年10月23日(17) | 176cm・72kg | 4試合・6得点 |
ジョゼ・アルタフィーニ (José Altafini) | 18 | CF | 🇧🇷 | パルメイラス | 1938年7月24日(19) | 176cm・77kg | 3試合・2得点 |
ババ (Vavá) | 20 | CF | 🇧🇷 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 1934年11月12日(23) | 174cm・75kg | 4試合・5得点 |
ジーダ (Dida) | 21 | CF | 🇧🇷 | フラメンゴ | 1934年3月26日(24) | 176cm・74kg | 1試合・0得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
ビセンテ・フェオラ (Vicente Feola) | 🇧🇷 | 1909年11月1日 |
ブラジル代表1958年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
フォーメーション(FINAL)
1958年W杯当時のキーマン
ペレ|サントス
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プロフィール
ペレ
(Pelé)
生年月日:1940年10月23日
身長/体重:176cm・72kg
ポジション:CF
利き足:右足
所属クラブ:サントス
代表通算:91試合・77得点
王様伝説の幕開け
当時17歳だった若武者が、誰もが知るフットボールの王様へと上り詰める幕開けとなったのが本大会。
序盤は怪我で欠場したものの、トーナメントは3戦6発と躍動。決勝に決めたシャペウからのゴールは、今でも伝説のゴールとして語り継がれている。
ジジ|ボタフォゴ
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プロフィール
ジジ
(Didi)
生年月日:1928年10月8日
身長/体重:170cm・59kg
ポジション:CM
利き足:右足
所属クラブ:ボタフォゴ
代表通算:68試合・20得点
ブラジル史に残る名司令塔
エレガントなボールスキルを武器に、ペレやザガロ、ガリンシャら豪華攻撃陣を巧みに操った名司令塔。
FKのスペシャリストとしても有名で、ジュニーニョやC・ロナウドも使う“フォーリャ・セッカ(枯れ葉)”を編み出した人物とも言われている。
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