数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、天才ドリブラーのガリンシャを軸に連覇を達成した、第7回チリ大会(1962年)の王者「ブラジル代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
ブラジル代表1962年W杯大会成績
決勝トーナメント
FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 3 – 1 | ●チェコスロバキア🇨🇿 |
17: アマリウド 69: ジト 78: ババ | 15: マソプスト |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
SEMI-FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 4 – 2 | ●チリ🇨🇱 |
9: ガリンシャ 32: ガリンシャ 47: ババ 78: ババ | 42: トロ 61: L. サンチェス |
Quarter-FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 3 – 1 | ●イングランド🏴 |
31: ガリンシャ 53: ババ 59: ガリンシャ | 38: ヒッチェンズ |
グループステージ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇧🇷 ブラジル | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 | 3 | 5 |
2 | 🇨🇿 チェコスロバキア | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 3 | -1 | 3 |
3 | 🇲🇽 メキシコ | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 4 | -1 | 2 |
4 | 🇪🇸 スペイン | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3 | -1 | 2 |
1節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 2 – 0 | ●メキシコ🇲🇽 |
56: ザガロ 73: ペレ |
2節 | ||
△ブラジル🇧🇷 | 0 – 0 | △チェコスロバキア🇨🇿 |
3節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 2 – 1 | ●スペイン🇪🇸 |
72: アマリウド 86: アマリウド | 35: アデラルド |
ブラジル代表1962年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ジウマール (Gilmar) | 1 | GK | 🇧🇷 | サントス | 1930年8月22日(31) | 181cm・72kg | 6試合・0得点 |
カスチーリョ (Castilho) | 22 | GK | 🇧🇷 | フルミネンセ | 1927年11月27日(34) | 181cm・75kg | 0試合・0得点 |
マウロ・ラモス (Mauro Ramos) | 3 | CB | 🇧🇷 | サントス | 1930年8月30日(31) | 180cm・76kg | 6試合・0得点 |
ゾジモ (Zózimo) | 5 | CB | 🇧🇷 | バングーAC | 1932年6月19日(29) | 176cm・67kg | 6試合・0得点 |
イウデラウド・ベリーニ (Hilderaldo Bellini) | 13 | CB | 🇧🇷 | ヴァスコ・ダ・ガマ | 1930年6月7日(32) | 183cm・83kg | 0試合・0得点 |
アウタイール (Altair) | 15 | CB | 🇧🇷 | フルミネンセ | 1938年1月22日(24) | 173cm・59kg | 0試合・0得点 |
ジュランディール (Jurandir) | 14 | CB | 🇧🇷 | サンパウロ | 1940年11月12日(21) | 190cm・87kg | 0試合・0得点 |
ジャイール・マリーニョ (Jair Marinho) | 12 | CB | 🇧🇷 | フルミネンセ | 1936年7月17日(25) | 173cm・71kg | 0試合・0得点 |
ジャウマ・サントス (Djalma Santos) | 2 | RSB | 🇧🇷 | パルメイラス | 1929年2月27日(33) | 173cm・73kg | 6試合・0得点 |
ニウトン・サントス (Nilton Santos) | 6 | LSB | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1925年5月16日(37) | 184cm・79kg | 6試合・0得点 |
ジト (Zito) | 4 | CM | 🇧🇷 | サントス | 1932年8月8日(29) | 179cm・72kg | 6試合・1得点 |
ジジ (Didi) | 8 | CM | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1928年10月8日(33) | 170cm・59kg | 6試合・1得点 |
ゼキーニャ (Zequinha) | 16 | CM | 🇧🇷 | パルメイラス | 1934年11月28日(27) | 167cm・64kg | 0試合・0得点 |
メンガルビオ (Mengálvio) | 17 | AM | 🇧🇷 | サントス | 1939年2月17日(23) | 179cm・69kg | 0試合・0得点 |
マネ・ガリンシャ (Mané Garrincha) | 7 | RW | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1933年10月28日(28) | 169cm・72kg | 6試合・4得点 |
ジャイール (Jair) | 18 | RW | 🇧🇷 | ポルトゥゲーザ | 1940年7月9日(21) | 173cm・67kg | 0試合・0得点 |
ペペ (Pepe) | 11 | LW | 🇧🇷 | サントス | 1935年2月25日(27) | 175cm・71kg | 0試合・0得点 |
マリオ・ザガロ (Mario Zagallo) | 21 | LW | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1931年8月9日(30) | 172cm・69kg | 6試合・1得点 |
コウチーニョ (Coutinho) | 9 | CF | 🇧🇷 | サントス | 1943年6月11日(19) | 172cm・74kg | 0試合・0得点 |
ペレ (Pelé) | 10 | CF | 🇧🇷 | サントス | 1940年10月23日(21) | 176cm・72kg | 2試合・1得点 |
ババ (Vavá) | 19 | CF | 🇧🇷 | パルメイラス | 1934年11月12日(27) | 174cm・75kg | 6試合・4得点 |
アマリウド (Amarildo) | 20 | CF | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1940年7月29日(21) | 169cm・66kg | 4試合・3得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
アイモレ・モレイラ (Aymoré Moreira) | 🇧🇷 | 1912年4月1日 |
ブラジル代表1962年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
1958年W杯当時のキーマン
マネ・ガリンシャ|ボタフォゴ
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プロフィール
マネ・ガリンシャ
(Mané Garrincha)
生年月日:1933年10月28日
身長/体重:169cm・72kg
ポジション:RW
利き足:右足
所属クラブ:ボタフォゴ
代表通算:50試合・12得点
連覇に導いた天才ドリブラー
負傷離脱で2試合しかプレーできなかったペレに代わってセレソンを牽引し、連覇に導いた最大の立役者。
一度ボールを持たせると止めることは不可能とまでいわれたドリブル、前回大会から磨きをかけたフィニッシュで大きな違いを作り出した。
ババ|パルメイラス
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プロフィール
ババ
(Vavá)
生年月日:1934年11月12日
身長/体重:174cm・75kg
ポジション:CF
利き足:右足
所属クラブ:パルメイラス
代表通算:21試合・15得点
王様不在の最前線を支えた万能型CF
前回大会も5ゴールを決めた点取り屋が、トーナメント3戦4発と爆発し、チームメイトのガリンシャと共に得点王を獲得。
W杯通算9ゴールは、ロナウド(15)、ペレ(12)に次ぐブラジル代表歴代3位の記録だ。
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