数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、W杯史上最強のチームとの呼び声もある、第9回メキシコ大会(1970年)の王者「ブラジル代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
ブラジル代表1970年W杯大会成績
決勝トーナメント
FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 4 – 1 | ●イタリア🇮🇹 |
18: ペレ 66: ジェルソン 71: ジャイルジーニョ 86: C. アウベルト | 37: ボニンセーニャ |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
SEMI-FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 3 – 1 | ●ウルグアイ🇺🇾 |
44: クロドアウド 76: ジャイルジーニョ 89: リベリーノ | 19: クビジャ |
Quarter-FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 4 – 2 | ●ペルー🇵🇪 |
11: リベリーノ 15: トスタン 52: トスタン 75: ジャイルジーニョ | 28: ガジャルド 70: クビジャス |
グループステージ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇧🇷 ブラジル | 3 | 3 | 0 | 0 | 8 | 3 | 5 | 6 |
2 | 🏴 イングランド | 3 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 4 |
3 | 🇷🇴 ルーマニア | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 5 | -2 | 2 |
4 | 🇨🇿 チェコスロバキア | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 7 | -5 | 0 |
1節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 4 – 1 | ●チェコスロバキア🇨🇿 |
24: リベリーノ 59: ペレ 61: ジャイルジーニョ 83: ジャイルジーニョ | 11: ペトラス |
2節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 1 – 0 | ●イングランド🏴 |
59: ジャイルジーニョ |
3節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 3 – 2 | ●ルーマニア🇷🇴 |
19: ペレ 22: ジャイルジーニョ 67: ペレ | 34: ドゥミトラチェ 84: デンブロフスキ |
ブラジル代表1970年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
フェリックス (Félix) | 1 | GK | 🇧🇷 | フルミネンセ | 1937年12月24日(32) | 179cm・72kg | 6試合・0得点 |
アド (Ado) | 12 | GK | 🇧🇷 | コリンチャンス | 1946年7月4日(23) | NO DATA | 0試合・0得点 |
エメルソン・レオン (Emerson Leão) | 22 | GK | 🇧🇷 | パルメイラス | 1949年7月11日(20) | 182cm・-kg | 0試合・0得点 |
ブリット (Brito) | 2 | CB | 🇧🇷 | フラメンゴ | 1939年8月9日(30) | 189cm・81kg | 6試合・0得点 |
バルドッキ (Baldocchi) | 14 | CB | 🇧🇷 | パルメイラス | 1946年3月14日(24) | 189cm・80kg | 0試合・0得点 |
フォンターナ (Fontana) | 15 | CB | 🇧🇷 | クルゼイロ | 1940年12月31日(29) | 180cm・69kg | 2試合・0得点 |
ジョエル・カマルゴ (Joel Camargo) | 17 | CB | 🇧🇷 | サントス | 1946年9月18日(23) | 183cm・-kg | 0試合・0得点 |
カルロス・アウベルト (Carlos Alberto) | 4 | RSB | 🇧🇷 | サントス | 1944年7月17日(25) | 180cm・77kg | 6試合・1得点 |
ゼ・マリア (Zé Maria) | 21 | RSB | 🇧🇷 | ポルトゥゲーザ | 1949年5月18日(21) | 176cm・80kg | 0試合・0得点 |
エベラウド (Everaldo) | 16 | LSB | 🇧🇷 | グレミオ | 1944年9月11日(25) | 171cm・68kg | 5試合・0得点 |
マルコ・アントニオ (Marco Antônio) | 6 | LSB | 🇧🇷 | フルミネンセ | 1951年2月6日(19) | 180cm・69kg | 2試合・0得点 |
ピアッザ (Piazza) | 3 | CM | 🇧🇷 | クルゼイロ | 1943年2月25日(27) | 176cm・74kg | 6試合・0得点 |
クロドアウド (Clodoaldo) | 5 | CM | 🇧🇷 | サントス | 1949年9月25日(20) | 172cm・69kg | 6試合・1得点 |
ジェルソン (Gérson) | 8 | CM | 🇧🇷 | サンパウロ | 1941年1月11日(29) | 170cm・69kg | 4試合・1得点 |
パウロ・セーザル (Paulo César) | 18 | CM | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1949年6月16日(21) | 174cm・73kg | 4試合・0得点 |
ロベルト・リベリーノ (Roberto Rivelino) | 11 | AM | 🇧🇷 | コリンチャンス | 1946年1月1日(24) | 169cm・73kg | 5試合・3得点 |
ロベルト (Roberto) | 13 | AM | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1944年7月31日(25) | NO DATA | 2試合・0得点 |
ジャイルジーニョ (Jairzinho) | 7 | RW | 🇧🇷 | ボタフォゴ | 1944年12月25日(25) | 173cm・74kg | 6試合・7得点 |
ダダ・マラヴィーリャ (Dadá Maravilha) | 20 | CF | 🇧🇷 | アトレチコMG | 1946年3月4日(24) | 185cm・75kg | 0試合・0得点 |
トスタン (Tostão) | 9 | CF | 🇧🇷 | クルゼイロ | 1947年1月25日(23) | 172cm・65kg | 6試合・2得点 |
ペレ (Pelé) | 10 | CF | 🇧🇷 | サントス | 1940年10月23日(29) | 176cm・72kg | 6試合・4得点 |
エドゥ (Edú) | 19 | CF | 🇧🇷 | サントス | 1949年8月6日(20) | 170cm・69kg | 1試合・0得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
マリオ・ザガロ (Mário Zagallo) | 🇧🇷 | 1931年8月9日 |
ブラジル代表1970年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
フォーメーション(FINAL)
1970年W杯当時のキーマン
ペレ|サントス
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プロフィール
ペレ
(Pelé)
生年月日:1940年10月23日
身長/体重:176cm・72kg
ポジション:CF
利き足:右足
所属クラブ:サントス
代表通算:91試合・77得点
王様伝説の最終章
リベリーノ、トスタンら名手が躍動しようとも、常にセレソンの攻撃の中心はペレだった。
W杯制覇3回という偉業を成し遂げるなど、数々の伝説を残したフットボールの王様は、この翌年カナリアのユニフォームに別れを告げる。
ジャイルジーニョ|ボタフォゴ
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プロフィール
ジャイルジーニョ
(Jairzinho)
生年月日:1944年12月25日
身長/体重:173cm・74kg
ポジション:RW
利き足:右足
所属クラブ:ボタフォゴ
代表通算:81試合・35得点
全6試合連続ゴールの離れ業
ガリンシャの後継者としてセレソンの右ウイングを務め、チーム最多となる7得点を挙げた“ハリケーン”。
裏への飛び出しと決定力を武器に、初戦から決勝まで全6試合でゴールを決める史上初の離れ業をやってのけた。
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