数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、6ヶ国目の優勝国が誕生した、第11回アルゼンチン大会(1978年)の王者「アルゼンチン代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
Contents
アルゼンチン代表1978年W杯大会成績
FINAL
FINAL | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 3 – 1 | ●オランダ🇳🇱 |
38: ケンペス 105: ケンペス 115: ベルトーニ | 82: ナニンガ |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
2次リーグ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇦🇷 アルゼンチン | 3 | 2 | 1 | 0 | 8 | 0 | 8 | 5 |
2 | 🇧🇷 ブラジル | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 1 | 5 | 5 |
3 | 🇵🇱 ポーランド | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 5 | -3 | 2 |
4 | 🇵🇪 ペルー | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 10 | -10 | 0 |
1節 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 2 – 0 | ●ポーランド🇵🇱 |
16: ケンペス 71: ケンペス |
2節 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 0 – 0 | ●ブラジル🇧🇷 |
3節 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 6 – 0 | ●ペルー🇵🇪 |
21: ケンペス 43: タランティーニ 46: ケンペス 50: ルケ 67: オウセマン 72: ルケ |
1次リーグ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇮🇹 イタリア | 3 | 3 | 0 | 0 | 6 | 2 | 4 | 6 |
2 | 🇦🇷 アルゼンチン | 3 | 2 | 0 | 1 | 4 | 3 | 1 | 4 |
3 | 🇫🇷 フランス | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 5 | 0 | 2 |
4 | 🇭🇺 ハンガリー | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 8 | -5 | 0 |
1節 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 2 – 1 | ●ハンガリー🇭🇺 |
15: ルケ 83: ベルトーニ | 10: シャポー |
2節 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 2 – 1 | ○フランス🇫🇷 |
45: パサレラ 73: ルケ | 60: プラティニ |
3節 | ||
○イタリア🇮🇹 | 1 – 0 | ●アルゼンチン🇦🇷 |
67: ベッテガ |
アルゼンチン代表1978年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
エクトル・バリー (Héctor Baley) | 3 | GK | 🇦🇷 | ウラカン | 1950年11月16日(27) | 186cm・-kg | 0試合・0得点 |
ウバルド・フィジョール (Ubaldo Fillol) | 5 | GK | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1950年7月21日(27) | 183cm・80kg | 7試合・0得点 |
リカルド・ラ・ボルペ (Ricardo La Volpe) | 13 | GK | 🇦🇷 | サン・ロレンソ | 1952年2月6日(26) | 183cm・-kg | 0試合・0得点 |
ダニエル・パサレラ (C) (Daniel Passarella) | 19 | SW | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1953年5月25日(25) | 177cm・74kg | 7試合・1得点 |
ルイス・ガルバン (Luis Galván) | 7 | CB | 🇦🇷 | タジェレス | 1948年2月24日(30) | 174cm・74kg | 7試合・0得点 |
ダニエル・キラー (Daniel Killer) | 11 | CB | 🇦🇷 | ラシン | 1949年12月31日(28) | 178cm・-kg | 0試合・0得点 |
ホルヘ・オルギン (Jorge Olguín) | 15 | CB | 🇦🇷 | サン・ロレンソ | 1952年5月17日(26) | 175cm・70kg | 7試合・0得点 |
ルベン・パニャニーニ (Rubén Pagnanini) | 18 | RSB | 🇦🇷 | インデペンディエンテ | 1949年1月31日(29) | 176cm・-kg | 0試合・0得点 |
アルベルト・タランティーニ (Alberto Tarantini) | 20 | LSB | 🇦🇷 | ボカ | 1955年12月3日(22) | 179cm・72kg | 7試合・1得点 |
アメリコ・ガジェゴ (Américo Gallego) | 6 | CM | 🇦🇷 | ニューウェルズ | 1955年4月25日(23) | 170cm・70kg | 7試合・0得点 |
ルベン・ガルバン (Rubén Galván) | 8 | CM | 🇦🇷 | インデペンディエンテ | 1952年4月7日(26) | 174cm・-kg | 0試合・0得点 |
ミゲル・オビエド (Miguel Oviedo) | 17 | CM | 🇦🇷 | タジェレス | 1950年10月12日(27) | 172cm・71kg | 1試合・0得点 |
オズワルド・アルディレス (Osvaldo Ardiles) | 2 | CM | 🇦🇷 | ウラカン | 1952年8月3日(25) | 169cm・62kg | 6試合・0得点 |
ノルベルト・アロンソ (Norberto Alonso) | 1 | AM | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1953年1月4日(25) | 174cm・68kg | 3試合・0得点 |
オマール・ラローサ (Omar Larrosa) | 12 | AM | 🇦🇷 | インデペンディエンテ | 1947年11月18日(30) | 175cm・70kg | 2試合・0得点 |
ホセ・バレンシア (José Valencia) | 21 | AM | 🇦🇷 | タジェレス | 1955年10月3日(22) | 169cm・65kg | 4試合・0得点 |
リッキー・ビジャ (Ricky Villa) | 22 | AM | 🇦🇷 | ラシン | 1952年8月18日(25) | 185cm・83kg | 2試合・0得点 |
ダニエル・ベルトーニ (Daniel Bertoni) | 4 | RW | 🇦🇷 | インデペンディエンテ | 1955年3月14日(23) | 179cm・76kg | 6試合・2得点 |
レネ・オウセマン (René Houseman) | 9 | RW | 🇦🇷 | ウラカン | 1953年7月19日(24) | 165cm・63kg | 6試合・1得点 |
オスカル・アルベルト・オルティス (Oscar Alberto Ortiz) | 16 | LW | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1953年4月8日(25) | 170cm・70kg | 6試合・0得点 |
マリオ・ケンペス (Mario Kempes) | 10 | CF | 🇪🇸 | バレンシア | 1954年7月15日(23) | 182cm・80kg | 7試合・6得点 |
レオポルド・ルケ (Leopoldo Luque) | 14 | CF | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1949年5月3日(29) | 177cm・75kg | 5試合・4得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
セサル・ルイス・メノッティ (César Luis Menotti) | 🇦🇷 | 1938年10月22日 |
アルゼンチン代表1978年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
フォーメーション(FINAL)
1978年W杯当時のキーマン
マリオ・ケンペス|バレンシア
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プロフィール
マリオ・ケンペス
(Mario Kempes)
生年月日:1954年7月15日
身長/体重:182cm・80kg
ポジション:CF
利き足:左足
所属クラブ:バレンシア
代表通算:43試合・20得点
英雄となった”エル・マタドール”
MVP・得点王の活躍ぶりで、悲願のW杯初制覇のヒーローとなった“エル・マタドール(闘牛士)”。
複数人に囲まれても鮮やかなステップとドリブルでDFをかわし、タイミングの良いシュートでゴールを量産した。
ダニエル・パサレラ|リーベルプレート
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プロフィール
ダニエル・パサレラ
(Daniel Passarella)
生年月日:1953年5月25日
身長/体重:177cm・74kg
ポジション:SW / CB
利き足:右足
所属クラブ:リーベルプレート
代表通算:70試合・22得点
同国史上最高のDFの1人
アルゼンチン史上最高のディフェンダーの1人に名を連ねる、“エル・グラン・カピタン(偉大なキャプテン)”。
25歳ながら主将としてチームをまとめ上げ、177cmながら空中戦にも強く、ベッケンバウアーを思わせる積極果敢な攻撃参加も魅力だった。
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