数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、“マラドーナのための大会”と呼ばれた、第13回メキシコ大会(1986年)の王者「アルゼンチン代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
Contents
アルゼンチン代表1986年W杯大会成績
決勝トーナメント
FINAL | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 3 – 2 | ●西ドイツ🇩🇪 |
21: ブラウン 55: バルダーノ 84: ブルチャガ | 73: ルンメニゲ 81: フェラー |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
SEMI-FINAL | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 2 – 0 | ●ベルギー🇧🇪 |
51: マラドーナ 63: マラドーナ |
Quarter-FINAL | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 2 – 1 | ●イングランド🏴 |
51: マラドーナ 55: マラドーナ | 81: リネカー |
Round of 16 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 1 – 0 | ●ウルグアイ🇺🇾 |
41: パスクリ |
グループステージ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇦🇷 アルゼンチン | 3 | 2 | 1 | 0 | 6 | 2 | 4 | 5 |
2 | 🇮🇹 イタリア | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 4 | 1 | 4 |
3 | 🇧🇬 ブルガリア | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 4 | -2 | 2 |
4 | 🇰🇷 韓国 | 3 | 0 | 1 | 2 | 4 | 7 | -3 | 1 |
1節 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 3 – 1 | ●韓国🇰🇷 |
5: バルダーノ 17: ルジェリ 46: バルダーノ | 75: パク・チャンソン |
2節 | ||
△イタリア🇮🇹 | 1 – 1 | △アルゼンチン🇦🇷 |
7: アルトベッリ | 34: マラドーナ |
3節 | ||
○アルゼンチン🇦🇷 | 2 – 0 | ●ブルガリア🇧🇬 |
3: バルダーノ 78: ブルチャガ |
アルゼンチン代表1986年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ルイス・イスラス (Luis Islas) | 15 | GK | 🇦🇷 | エストゥディアンテス | 1965年12月22日(20) | 192cm・87kg | 0試合・0得点 |
ネリー・プンピード (Nery Pumpido) | 18 | GK | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1957年7月30日(28) | 183cm・80kg | 7試合・0得点 |
エクトル・ゼラダ (Hector Zelada) | 22 | GK | 🇲🇽 | クラブ・アメリカ | 1957年4月30日(29) | 178cm・-kg | 0試合・0得点 |
ダニエル・パサレラ (Daniel Passarella) | 6 | SW | 🇮🇹 | フィオレンティーナ | 1953年5月25日(33) | 177cm・74kg | 0試合・0得点 |
ホセ・ルイス・ブラウン (José Luis Brown) | 5 | CB | 🇨🇴 | ナシオナル | 1956年11月11日(29) | 183cm・81kg | 7試合・1得点 |
ネストル・クラウセン (Néstor Clausen) | 8 | CB | 🇦🇷 | インデペンディエンテ | 1962年9月29日(23) | 171cm・75kg | 1試合・0得点 |
オスカル・ルジェリ (Oscar Ruggeri) | 19 | CB | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1962年1月26日(24) | 183cm・82kg | 7試合・1得点 |
ホセ・ルイス・クチューフォ (José Luis Cuciuffo) | 9 | RSB | 🇦🇷 | ベレス | 1961年2月1日(25) | 174cm・72kg | 6試合・0得点 |
オスカル・ガレ (Oscar Garré) | 13 | LSB | 🇦🇷 | フェロ | 1956年12月9日(29) | 175cm・74kg | 4試合・0得点 |
フリオ・オラルティコエチェア (Julio Olarticoechea) | 16 | LSB | 🇦🇷 | ボカ | 1958年10月18日(27) | 169cm・71kg | 7試合・0得点 |
セルヒオ・バティスタ (Sergio Batista) | 2 | CM | 🇦🇷 | アルヘンティノス | 1962年11月9日(23) | 186cm・81kg | 7試合・0得点 |
エクトル・エンリケ (Héctor Enrique) | 12 | CM | 🇦🇷 | リーベルプレート | 1962年4月26日(24) | 172cm・71kg | 5試合・0得点 |
リカルド・ジュスティ (Ricardo Giusti) | 14 | CM | 🇦🇷 | インデペンディエンテ | 1956年12月11日(29) | 178cm・75kg | 7試合・0得点 |
リカルド・ボチーニ (Ricardo Bochini) | 3 | AM | 🇦🇷 | インデペンディエンテ | 1954年1月25日(32) | 168cm・67kg | 1試合・0得点 |
ホルヘ・ブルチャガ (Jorge Burruchaga) | 7 | AM | 🇫🇷 | ナント | 1962年10月9日(23) | 176cm・70kg | 7試合・2得点 |
ディエゴ・マラドーナ (Diego Maradona) | 10 | AM | 🇮🇹 | ナポリ | 1960年10月30日(25) | 165cm・67kg | 7試合・5得点 |
カルロス・タピア (Carlos Tapia) | 20 | AM | 🇦🇷 | ボカ | 1962年8月20日(23) | 173cm・71kg | 2試合・0得点 |
マルセロ・トロッビアーニ (Marcelo Trobbiani) | 21 | AM | 🇪🇸 | エルチェ | 1955年2月17日(31) | 175cm・74kg | 1試合・0得点 |
クラウディオ・ボルギ (Claudio Borghi) | 4 | CF | 🇦🇷 | アルヘンティノス | 1964年9月28日(21) | 181cm・74kg | 2試合・0得点 |
セルヒオ・アルミロン (Sergio Almirón) | 1 | CF | 🇦🇷 | ニューウェルズ | 1958年11月18日(27) | 174cm・71kg | 0試合・0得点 |
ホルヘ・バルダーノ (Jorge Valdano) | 11 | CF | 🇪🇸 | レアル・マドリー | 1955年10月4日(30) | 188cm・84kg | 7試合・4得点 |
ペドロ・パスクリ (Pedro Pasculli) | 17 | CF | 🇮🇹 | レッチェ | 1960年5月17日(26) | 172cm・70kg | 2試合・0得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
カルロス・ビラルド (Carlos Bilardo) | 🇦🇷 | 1938年3月16日 |
アルゼンチン代表1986年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
フォーメーション(FINAL)
1986年W杯当時のキーマン
ディエゴ・マラドーナ|ナポリ
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プロフィール
ディエゴ・マラドーナ
(Diego Maradona)
生年月日:1960年10月30日
身長/体重:165cm・67kg
ポジション:AM / CF
利き足:左足
所属クラブ:ナポリ
代表通算:43試合・20得点
伝説となった神の子
5ゴール・5アシストの活躍ぶりでスポットライトを独占し、W杯の伝説となった神の子。
サッカー界でもっとも有名なゴールの一つに挙がる、準々決勝イングランド戦の“神の手“、そして伝説の“5人抜きゴール”は、マラドーナを象徴するプレーとして、後世に語り継がれていくだろう。
ホルヘ・ブルチャガ|ナント
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プロフィール
ホルヘ・ブルチャガ
(Jorge Burruchaga)
生年月日:1962年10月9日
身長/体重:176cm・70kg
ポジション:AM / CM
利き足:右足
所属クラブ:ナント
代表通算:59試合・13得点
神の子の名参謀
マラドーナと抜群の連携プレーで、相手DFを混乱に陥れた中盤のキープレイヤー。
優勝を手繰り寄せた西ドイツの決勝ゴールも、オフ・ザ・ボールの動きと神の子の華麗なスルーパスが融合した見事な一撃だった。
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