数々の伝説を生み出したサッカー・ワールドカップの優勝国を、順番に振り返っていく本企画。
今回は、初のアジア&共同開催、21世紀初など、初めてづくしの大会となった、第17回日韓大会(2002年)の王者「ブラジル代表」を紹介していきます。
- 大会成績
- 選手一覧(出場メンバー)
- 基本フォーメーション(スタメン)
- 当時のキープレイヤー
これらの情報を掲載。当時を知り、一緒にフットボールの歴史を振り返っていきましょう。
ブラジル代表2002年W杯大会成績
決勝トーナメント
FINAL | ||
●ドイツ🇩🇪 | 0 – 2 | ○ブラジル🇧🇷 |
67: ロナウド 79: ロナウド |
当時の映像:FIFA公式(外部リンク)
SEMI-FINAL | ||
○ブラジル🇧🇷 | 1 – 0 | ●トルコ🇹🇷 |
49: ロナウド |
Quarter-FINAL | ||
●イングランド🏴 | 1 – 2 | ○ブラジル🇧🇷 |
23: オーウェン | 45: リバウド 50: ロナウジーニョ |
Round of 16 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 2 – 0 | ●ベルギー🇧🇪 |
67: リバウド 87: ロナウド |
グループステージ
順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 🇧🇷 ブラジル | 3 | 3 | 0 | 0 | 11 | 3 | 8 | 9 |
2 | 🇹🇷 トルコ | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 3 | 2 | 4 |
3 | 🇨🇷 コスタリカ | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 6 | -1 | 4 |
4 | 🇨🇳 中国 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 | -9 | 0 |
1節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 2 – 1 | ●トルコ🇹🇷 |
50: ロナウド 87: リバウド | 45: ハサン・シャシュ |
2節 | ||
○ブラジル🇧🇷 | 4 – 0 | ●中国🇨🇳 |
15: R. カルロス 32: リバウド 45: ロナウジーニョ 55: ロナウド |
3節 | ||
●コスタリカ🇨🇷 | 2 – 5 | ○ブラジル🇧🇷 |
39: ワンチョペ 56: ゴメス | 10: ロナウド 13: ロナウド 38: エジミウソン 62: リバウド 64: ジュニオール |
ブラジル代表2002年W杯出場メンバー
選手名 | No | POS | 所属チーム | 生年月日(年齢) | 身長・体重 | 大会成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
マルコス (Marcos) | 1 | GK | 🇧🇷 | パルメイラス | 1973年8月4日(28) | 193cm・88kg | 7試合・0得点 |
ジーダ (Dida) | 12 | GK | 🇧🇷 | コリンチャンス | 1973年10月7日(28) | 195cm・83kg | 0試合・0得点 |
ロジェリオ・セニ (Rogério Ceni) | 22 | GK | 🇧🇷 | サンパウロ | 1973年1月22日(29) | 188cm・85kg | 0試合・0得点 |
ルッシオ (Lúcio) | 3 | CB | 🇩🇪 | レバークーゼン | 1978年5月8日(24) | 188cm・81kg | 7試合・0得点 |
ロッキ・ジュニオール (Roque Junior) | 4 | CB | 🇮🇹 | ミラン | 1976年8月31日(25) | 186cm・73kg | 6試合・0得点 |
アンデルソン・ポウガ (Ânderson Polga) | 14 | CB | 🇧🇷 | グレミオ | 1979年2月9日(23) | 183cm・79kg | 2試合・0得点 |
カフー (Cafú) | 2 | RSB | 🇮🇹 | ローマ | 1970年6月7日(32) | 178cm・75kg | 7試合・0得点 |
ジュリアーノ・ベレッチ (Juliano Belletti) | 13 | RSB | 🇧🇷 | サンパウロ | 1976年6月20日(25) | 174cm・74kg | 1試合・0得点 |
ロベルト・カルロス (Roberto Carlos) | 6 | LSB | 🇪🇸 | レアル・マドリー | 1973年4月10日(29) | 168cm・67kg | 6試合・1得点 |
ジュニオール (Júnior) | 16 | LSB | 🇮🇹 | パルマ | 1973年6月20日(28) | 170cm・65kg | 1試合・1得点 |
エジミウソン (Edmílson) | 5 | CM | 🇫🇷 | リヨン | 1976年7月10日(25) | 186cm・75kg | 6試合・1得点 |
ジウベルト・シウバ (Gilberto Silva) | 8 | CM | 🇧🇷 | アトレチコMG | 1976年10月7日(25) | 185cm・74kg | 7試合・0得点 |
クレベルソン (Kléberson) | 15 | CM | 🇧🇷 | アトレチコPR | 1979年6月19日(22) | 175cm・64kg | 5試合・0得点 |
ヴァンペッタ (Vampeta) | 18 | CM | 🇧🇷 | コリンチャンス | 1974年3月13日(28) | 184cm・78kg | 1試合・0得点 |
ロナウジーニョ (Ronaldinho) | 11 | AM | 🇫🇷 | パリ・サンジェルマン | 1980年3月21日(22) | 179cm・80kg | 5試合・2得点 |
リカルジーニョ (Ricardinho) | 7 | AM | 🇧🇷 | コリンチャンス | 1976年5月23日() | 176cm・73kg | 3試合・0得点 |
リバウド (Rivaldo) | 10 | AM | 🇪🇸 | バルセロナ | 1972年4月19日(30) | 186cm・75kg | 7試合・5得点 |
カカ (Kaká) | 23 | AM | 🇧🇷 | サンパウロ | 1982年4月22日(20) | 186cm・78kg | 1試合・0得点 |
ジュニーニョ・パウリスタ (Juninho Paulista) | 19 | AM | 🇧🇷 | フラメンゴ | 1973年2月22日(29) | 167cm・70kg | 5試合・0得点 |
デニウソン (Denílson) | 17 | LW | 🇪🇸 | ベティス | 1977年8月24日(24) | 177cm・72kg | 5試合・0得点 |
ロナウド (Ronaldo) | 9 | CF | 🇮🇹 | インテル | 1976年9月22日(25) | 183cm・90kg | 7試合・8得点 |
エジウソン (Edílson) | 20 | CF | 🇧🇷 | クルゼイロ | 1971年9月17日(30) | 168cm・60kg | 4試合・0得点 |
ルイゾン (Luizão) | 21 | CF | 🇧🇷 | グレミオ | 1975年11月14日(26) | 178cm・76kg | 2試合・0得点 |
監督
名前 | 国籍 | 生年月日 |
ルイス・フェリペ・スコラーリ (Luiz Felipe Scolari) | 🇧🇷 | 1948年11月9日 |
ブラジル代表2002年W杯フォーメーション
基本フォーメーション
フォーメーション(FINAL)
2002年W杯当時のキーマン
ロナウド|インテル
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ロナウド
(Ronaldo)
生年月日:1976年9月22日
身長/体重:183cm・90kg
ポジション:CF
利き足:右足
所属クラブ:インテル
代表通算:98試合・62得点
大舞台で完全復活した怪物
プレッシャーに打ち勝てず、悔しい思いをした4年前のリベンジを果たし、エースとして力強くチームを牽引した“フェノーメノ(怪物)”。
南米予選では1試合も出場できず、度重なる怪我でコンディションに不安を残していたとは思えない活躍ぶりで、初戦からゴールを量産した。
ロナウジーニョ|パリ・サンジェルマン
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ロナウジーニョ
(Ronaldinho)
生年月日:1980年3月21日
身長/体重:179cm・80kg
ポジション:AM / LW
利き足:右足
所属クラブ:パリ・サンジェルマン
代表通算:97試合・33得点
笑顔のファンタジスタ
堅守から強力2トップ(ロナウド、リバウド)へとつなぐ崩しの切り札に選ばれたのが、当時22歳の若武者だったファンタジスタだ。
退場こそあったが、ハイライトは準々決勝のイングランド戦。GKシーマンの意表を突いた驚愕の直接FKは、今でも目に焼き付いているファンも多いではないだろうか。
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